雲のはて小学生時代は児童文学研究会に所属していた関係で、私の本棚の一角を英米の児童文学が占めている。
「ホビットの冒険」「指輪物語」「クローディアの秘密」「ともしびをかかげて」「トムは真夜中の庭で」「ナルニア国物語」「麦と王さま」「ツバメ号とアマゾン号」
1970年代は、岩波が「岩波少年少女の本」を多く出版していた。
今「岩波少年少女の本」は絶版。なにしろ40年がたっている。
手に入れようと思ったら、図書館の児童書の奥のコーナーで埃がかぶっているのを探さなければならないだろう。

何年か前「フランバース屋敷の人びと」の続編が出たことをネットで知った。
続編を借りてこようと思って、主人公の名前もストーリーも覚えてないのに気づいた。
これは1巻から読まなくてはと思い、書棚の奥から取り出してきたのが「愛の旅立ち」「雲のはて」。
読み始めたら、夢中になった。
20世紀初頭のイギリス、エセックスの自然やそこで走る馬の魅力、飛行機にかける情熱、そして児童文学の定番、孤児になった少女の成長物語と淡い恋。

そして、ひっかかったところ。
その1
差別用語として、今はほとんど使われない、きちがい、不具などの言葉。クリスチナがしゃべる山の手風女ことば。「よくってよ」など、今は喋る人はいないだろう。
その2
登場人物の1人、サンディの母が婦人参政権獲得運動の闘士で、主人公であるクリスチナが、運動に夢中になって「子どもに温かい夕食」も用意しないでと思うエピソード。

「フランバース屋敷の人びと」は、続編が出たのを機に2009年、全5巻、岩波文庫からペーパーバック版として新装、発行されたので、その1については、改訂してあるはずだが、その2の方は、意外だった。

母親なら「子どもに温かい夕食」を食べさせなければならない。
私は、この本を含め、当時読んだ本に、どれだけ刷り込まれていたのかなあと。
もちろん、今は20世紀初頭のイギリスとは違う。
電子レンジで温めるばかりになった、おでんやカレー、冷蔵庫で冷やしたサラダにラップで出かけることはできる。
それなのに、コンビニで買ってきたお弁当やレトルト食品をそのままテーブルにのせておくことがなぜかできない。
保存料、着色料などの添加物も気になるし、なんといっても手抜き感がある。
婦人参政権獲得のために運動している母親をけなす主人公は、洋裁で生計を立てている叔母にも敬意を払わない。
ホテルの仕事についても、その仕事にどう向き合い、どんな成長をしていったかも描かれない。
まだ2巻までしか読んでないので、その後、クリスチナがどんな人生を歩んでいくか、全巻通して読んで確かめなければなんともいえない。
20世紀初頭の女性のほとんどがフェミニズムのフェの字も知らないことを差し引いても、まだ生きている作者、K.M.ペイトン(1929年生まれ)が、80年代、90年代、そして2010年代の今、どんなふうに考え、今はどう思っているか知りたくなった。
こんなとき、英語がすらすらとできれば、ちゃちゃっとネットで調べられるのに、勉強をさぼっていたので、それができない。
残念である。